とある本で面白い視点だなと思ったので共有してみました。
とある、賃貸のマンションがありました。
そのマンションの自治会で入居者の人たちが家で焼肉することを禁止しようという話があったそうです。
そのマンションでは最初は、ベランダでの喫煙が禁止されました。
窓を開けた時にタバコの臭いがすると嫌だからというのは、私はタバコを吸わないので、もちろんそのほうがありがたいけど、ま、個人的には吸ってる人の気持も分からなくもないです。
やっぱり、家で臭うのは家族に悪いですからね。でも、吸う人の気持も分かります。
次にベランダで布団を干すことも禁止されました。
布団を叩くと、ホコリが出るのが理由だったみたいですね。
その次に、焼き魚が禁止されました。
排気口がマンションの通路にあって臭いから。
で、最後に焼き肉が禁止の対象になっちゃいました。
そのマンションでは、近所で保育園の建設の話があったそうですが、
その話も中止になったそうです。子供の声がうるさいからだとか。
確かにルールっていうのは、ダメ、ダメにしたり、
ルールを細かく書くことは管理者からの視点としては正直楽なのかもしれません。
ですが、マンションでもそうですが、私達の場合も多くのスタッフがいます。
また、お客様もいらっしゃいます。
そこで、一部の人が嫌だからということですべての人に同じことを禁止したり
新しいルールを適用してしまうとどうなるでしょう。
これは、そのマンションが最後どうなっちゃったかを見ると分かります。
結局、焼き肉まで禁止してしまったマンションですが、住民の多くはあきれてしまってこのマンションから出て行ってしまったそうです。きっと、自治会にすごくこういうことに細かい方がいたのかもしれませんが、残りの多くの人は別にそこまで気にしてなかったのでしょう。
bとかでも、例えばちょっとレッスン・パートナーの一人がすごくハデな格好をしてしまったとします。
その時に、ルールとして「男性の服装は、黒スーツにシャツは白、ネクタイは地味な柄で」と規定したらどうでしょう。多分、他の大部分の人達はオシャレすることもひとつの楽しみなのにそれもなくなるし、お客様が見てもちょっと不気味ですよね(笑)。
こういう時って、手を付けたほうが良いのは実はルールを一律にすることじゃなくて、例外的に起きた出来事に対してだけ対処すれば良いのかなと思います。
大部分の人間には「お互い様」という気持ちがあります。
自分が何か相手を不快にさせてしまったりしたとしても、自分を振り返ると自分もまた別のところで悪意ない無意識なうちに相手に嫌なことをしちゃったりしていることがあるものです。
だから、普通の人達同士の間ではこうしたことがあった時は個別で話しあったりすればだいたい解決します。ただ、中には徹底的にやっちゃいたい人もいるのかもしれませんね。そういう時には、残りの全体に対しての対策をするのではなくてその人(事)に対処するほうが良いかもしれないです。
水清ければ魚棲まずといいます。
もし、ちょっと水が汚いからと水を完全に浄化したものにしてしまうとその汚いと思ってる水の中にいたプランクトンや魚が生きていく時に必要となるミネラルもなくなっちゃいます。水をきれいにしようとしたら、魚が全部死んじゃったという例え話。
人間なんかはみんな誰しも、ちょっとずつ無意識のうちに他人に影響を与えてるものですので、水に例えたらやっぱり多少は汚れています。ただ、中には自分もその一員でお互い様なことを忘れちゃってるのか、それとも、自分は完璧と思っちゃうのかはたまた、他人には厳しく、一方で、自分を振り返らないのかはわからないけど、全部自分の思い通りの水にしちゃいたい人がいます。
その通りにしちゃうと、他の魚はみんな死んじゃいますよね。
私は熱帯魚を飼育してるのですが、まれに魚が病気になります。
そういう時に、全部水を交換してきれいにしたり、あるいはドバっと薬を投下すると元気な魚も死んじゃったり、あるいは、病気になります。そうしないために、ちょっとかわいそうですが、そういう時はその病気の魚を隔離してしまいます。
そうすれば、影響がこれ以上でないですからね。
言葉をちょっと濁して書きましたが、仕事なんかでも同じようなケースがあるなぁといつも思います。