私達の仕事には必須のスキルかなぁと思います。
今の時代のように、社会における仕事や機能が分化されていくと
徐々に、自分以外の人が何をやっているのか、どんな苦労をしているのか、あるいは、今、どんな
心情なのか、といったことを察知することが難しくなってきます。
例えば、もし自分が大昔に生まれたとします。
大昔と言っても、江戸時代とかじゃなくてもっともっと大昔。
動物の狩りをして、作物を育てて、料理をして、家族を育てて、
夜も獣に襲われないように見張りをしながら、、、。
生きていくために必要なことを全部自分でやったとしましょう。
きっと、生きていくために一つ一つのことがどれだけ大変なんだろう、ってことが
分かるからきっと今日も無事に一日が終わったと感謝しますよね。
ただ、もちろんそんな事をやってると効率は良くないし、人間の社会は発展しないので、
徐々に社会分業が行われ、貨幣を通じた価値の交換や貯蔵がされるようになったのでしょう。
でも、こういう便利になって自分の仕事が分化されるからこそ、
相手はどうなんだろう、という想像力を働かせることに意識を少し傾ける癖を持つことは
とても大事です。
例えばレッスン・パートナー。
一人一人、異なるお客様の興味や仕事、今の会話力に合わせて40分のレッスンを行いそれを
1日続けることって、システムから見てしまうと一行の横棒で終わりですが、自分が同じことをやる姿を想像すると
どうでしょう?すごく、大変なことですよね。
あるいは、バスの運転手さん。
普通にSuica(Pasmo)でピッと乗車して、目的地に到着したらそれで終わりですが、
その運転手さんの一日を想像してみるとどうでしょう?自分たちがまだ寝ているような時間帯に目を覚まして、
仕事を始めていて、ほとんど遅れることなく一日を終えている。これって凄いことですよね。
そう思うと、バスを降りるときにお礼を言おうっていう気持ちも出てきます。
現代の人間は相手がどうだろうってところまで想像するスキルが落ちてしまったがために、
逆に、今、目で見たこと、あるいは、耳で聴いた表面的なことだけで物事を見たり判断してしまって
その背景にあるものまで想像しなくなってしまっています。
一方、他人と話したり意見を聞くときもこの想像力を働かせる癖をつけると、
良い意味でも悪い意味でも、相手の言葉だけで判断しないで、心の背景に何があるのかを想像しながら
本心はどこにあるのかを推察する癖がついてきます。
よく朝礼でも書きますが、「忙しいから」ってお客様がおっしゃった時に
そのお客様の本心が本当に忙しいからなのか、それとも、サボっちゃっててその後ろめたさを隠すためのものなのかまで
想像してみるトレーニングって大事です。もし、お顔を見てそのお客様が寝るまもなく働いてる姿が想像できる状態なのか、それとも、多分、
お化粧もバッチリ、普通にテレビ見て寝てるなーって姿のほうが想像できるのかで、どこが本音なのかってわかります。
そして、本当の会話ってその本音の部分をベースに行わないと
単に社交辞令というか、上っ面だけのコミュニケーションになっちゃいますよね。
想像力を巡らす努力をしていくといろんなことが見えることがわかります。
ちなみに、英語では今日のテーマの単語である、
「同情」「共感することを」表す単語に”sympathy”という言葉があります。
語源は、sym(共に)+pat(苦しむ)から来ているそうで、
誰かと共に苦しむというニュアンスがあるみたいです。
実際には、一緒にやってるわけではないから苦しんでいるのは当事者だけかも
しれないけど、そこに相手のことを想像することで、ともに苦しむ、ということから来ているのでしょうね。