これ私がときどき自分が「やってしまった」となったときに思い出す言葉。
多分、皆さんも同じだと思います。
例えば、1週間目にお客様にご連絡するとき、なんかでも皆さんのTODOを見ていると、
本来やる1週間目じゃなくて2週間後に連絡します、のように書いているのってよくあると思います。
毎日管理票見てると結構ありますね。
これが本当にお客様と「◯月◯日にお話しましょう」というところまで具体的にお約束しているから
というケースもあるでしょう。でも、大体のケースって、「この方はちょっとゆっくりでいいかな」と
自分の主観で決めちゃってることって多くないかなと思います。
私も自分の手帳にTODOをつけます。
朝起きたら顔を洗って歯を磨いてすぐに今日やるべきことのTODOを
チェックする(前の日の晩に大体書いてしまうので)。でも、このTODOの中にやっぱり先送り君を紛れ込ませてるのが
よくあります。
例えば、私の恩人の方がいらっしゃるのですが4年ぶりでしょうか。
偶然、とある会合でお会いしました。
多分、自分が死ぬときに思い出す一生の恩人の一人の方ですが、今、
とても忙しいことを知っていたのでここ数年、連絡を取ることも年賀状以外、控えていました。
そんな方と偶然久しぶりにお会いしたら嬉しいですよね。
私はその翌日、お礼の手紙(こういうのはメールじゃなくてお手紙と思ってるので)を書こうと筆を取ったのですが
「ちゃんと書かないといけないから熟考しよう」ということでお手紙を書きかけのまま、手帳のTODOでは日々、「お礼状」というのが
ずーっと繰り越されて毎日TODOにかかれていいました。
で、やっと先日送ったわけですがこれはとっても悪いやり方です。
なぜなら、相手の記憶に私のことが鮮明に残っている時に内容は荒削りの文章でも送っていたらどうでしょう?
「ああ、あいつも頑張ってるな」と思ってくださるでしょう。
一方、ちゃんと連絡したいから、と数週間経過してからだったら?
もちろん、文章はもう少し良くなったかもしれないけど、時間が経過してしまっています。
「ああ、そうか」くらいは思っていただけるかもしれないけどその記憶のシェアにはあまり残りません。
もちろん、皆さんもお客様と日々接してるので同じような葛藤があるんじゃないかと思います。
こんな時に思い出すといいのが、とある英語の名言(原文忘れました)。
「先送りはワインと違いヴィンテージにはならない」
記憶はワインじゃないから熱いうちに。ですね。