人生は選択 ~ 資源の配分を決めるのは自分
たまたま、学生時代以来久しぶりにちょこちょこ読んでいたスティグリッツの経済学の本のはじめに「経済学は選択である」という言葉がありました。
この人、先日来日していて昨年後半から日本が採用し始めた金融緩和と財政政策について
その理論的支柱になった学者さんで、アメリカではクリントン政権の顧問だった方です。アメリカでは今、スティグリッツの考え方が100%支持されているわけではなかった中で、突然、海の向こうの日本が別に彼に相談することなく彼がやりたかったことを始めたから日本に興味を持ったのでしょうね。
私は単純に、大学時代の経済学の教授の書いた本が難しすぎて偶然、本屋で彼の本を読んだら
すっと頭に落ちたのでこっちを使って勉強したことで偶然、名前を覚えていました。
さて、彼の話はともかく経済学の世界で一つテーマとしてあるのが、選択。
資源は有限ですから、その資源(ここでいう資源は、もちろん石油みたいな天然資源もありますが、商品やサービスなど取引にかかわるすべてのもの➖時間、お金、人材すべてですね)を
どう有効に配分するか、という選択を経済主体が取りそれの集合体が国民経済となる、といった話だったと思います(すいません、完全に理解してるわけじゃないんで)。
でも、これって確かに私達自身の人生でも選択をしてるわけですよね。
「眠いけど、起きる」と選択をする。
「明日は仕事だけど、もういっぱい飲むか飲まないか」という選択をする。
「生産的ではないけど、愚痴ばかりのクダラナイ酒を友達と飲む」と選択する。
「朝、仕事前に少し運動しよう」という選択をする。
「お客さまだったら、少しレッスンサボってしまったけどちゃんと頑張ろう(あるいはもういいや)」という選択をする。
つまり、当たり前のいつも通りの生活も、実はひとつひとつは自分の選択によって成り立っているのです。
今の自分の生活は「自分自身の選んだ道」ということですね。
誰が決めたわけでもありません。
自分自身で決めて来たのです。
もちろん、世の中生まれた時点でめちゃくちゃ恵まれた人もいますし、スタート地点から不利な人もいるでしょう。当然、選択肢の幅はその人の環境によって異なってきます。
でも、選択肢がゼロ、と言うことは今の恵まれた日本ではあまりないですよね。
ましてや、日常の生活レベルではほとんどないはずです。
そう考えると、今の自分が、自分に合格点あげられるか?と考えると、それは今までの小さな自分自身の一つ一つの選択がどうだったか、ということを振り返るところから始まっちゃうわけです。
ただ、これまた難しいことですが多くの人は「お金がないから」「時間がないから」という理由でブレーキをかけ、やりたい事もやらず、欲しい物も買わないという選択をするものです
そして、選択の多くは自分自身が行なってきたことの連続でもあるわけですね。
そう考えると、一つ一つ「どうしよう?」と思った時に自分の判断を大事に出来ますよね。
人生は選択 ~ 資源の配分を決めるのは自分
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