Pathyの大事さ
今日はとあることで、このPathyの大事さを痛感しました。
というのも、私たちの会社が7年近くお世話になっているサービスなのですが、
ひょんなことから、カスタマーサポートに電話をした時。実は、私も今まで7年間、このサービスを
使ったことはありませんで、実質的に使わないサービスでしたが他のものも含めてトータルでお世話になっていたので、
何も言わずに毎年、毎月、支払っていたわけです。
結果的に、解約することにしましたがそのキッカケは電話対応。
「ですから」「承りかねます」といった私たちのようなサービス業界にいると余程のことがないと
お客様に使わないNGワードが連発で、一人だったらまだよかったのかもしれないけど、対応してくれた複数人がそうだったので、
これは、会社としてのスタンスなんだな、ということで残念ながら即決で解約することになった次第です。
そこで思ったことって、別に使わないサービスだったかどうか、あるいは、
サービスの中身の問題と言うよりは、ちょっと気の利く一言がその電話の中で聴くことが出来ればそこまで
即決でストップすることもなかっただろうな、と思うと共にこれは私達も常に意識しておかないと逆の立場になってしまうことも
あるんじゃないかなぁと思ったわけです。
今日のPathyというのを言葉にしたのは、Pathyというのは私達がよく知ってる
言葉で言うと、sympathy(同感)、あるいは、テレパシー(Telepathy)といった単語があります。
よく、経済学で言うとアダム・スミスという学者がいて彼は神の見えざる手を説いた、なんて学校では習いますが
実はその前に道徳情操論(英題:The Theory of Moral Sentiments)という本を書いていて、経済学の中でも近代市民社会におけるバラバラの個人が、
「共感」をお互いが持つことで秩序をつくりその中で成り立つことを説明しています。
“pathy”というのは、passion と同源の古代ギリシャ語で、英語で言うとsuffering を表す語に由来するそうです。
ということで、その意味の中には、「苦痛」とか「感情」というイメージが根底にあって、ギリシャ哲学で言うところの
「ロゴス」(論理)に対置される「パトス」(情念、情動)のpathos が同根らしいです。
哲学用語では pathos は「パトス、情念」の意で使われますが、日常的には
pathos は「悲哀、ペーソス」という意味になるそうです。
うんちくはさておき(でも、pathyはそうなんだと理解しておくと知らない単語で接尾がpathyの時には
なんとなく想像ができます)、こういうのって、つくづく人間ってのは感情なんだなぁと思います。
面白い統計があって、弁護士さんがクライアントが切り替えとなる一番の理由は
その弁護士さんの腕がいい悪いではなくて、単にコミュニケーション不足だったりといった基本的な部分だそうです。
ちょっと、不安になった時にクライアントが電話した時に、先生だからって上から目線になっちゃったりする先生よりは、腕がいいかは一旦おいておいても、
その不安になっているクライアントの心情を察しながら、話を聞ける弁護士の先生は人気も出るんでしょう。
これって、私たちのサービスにも当てはまるなぁとつくづく思いました。
私も、もし、解約の理由は?と聞かれちゃうと一般的には、サービスを使わない、とか、
良くなかった、というところになるんでしょうが、意外とたまたま電話対応した人の対応が悪かったから、なんていうことに
なることってあるんじゃないかなと思います。
もちろん、私も社内だと皆からの話を聞いていると「こんな初歩的なこと、何度もメールもしてるし聞かないでくれよ~」と思う相談とか
よくあります。もちろん、私も社内だったら何度も話してることで、同じような質問をされたら「もういい加減自分で考えなさい」って叱っちゃうと思いますが、
一方で、週に1回、あるいは、電話などは普段かけてこない人の対応というのは、相手方の心境を察しながらこの”pathy”をいれたコミュニケーションを取ることで
円滑に進むことはたくさんあるなーと感じたので共有させてもらいました。
Pathyの大事さ
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