逆境も心の持ちようひとつで順境たらしめることができる。
授かった仕事が何であろうと一生懸命にやるなら衣食は足りる。
(高橋是清)
最近まであまり知られてなかった高橋是清(これきよ)。
だるまさんのニックネームでも有名な、ふくよかな髭と眼鏡ハゲ姿でとても愛着がある
方ですが、実はスゴイ方です。
坂の上の雲などでは、西田敏行が演じていましたが、
日露戦争時に当時、まだ経済的に力がない日本は戦費を海外から調達せざるを得ず
高橋が持ち前の交渉力で日銀副総裁としてそれを完遂しました。いわば、資金調達のプロ。
そして、総理大臣も経験し、1929年にウォール街から始まった
全世界を覆った世界恐慌に際して、総理経験者ながらその財政・金融の知識を乞われて
大蔵大臣として就任。今、日本でも再び話題になっていますがリフレーション政策を世界でいち早く実行して
結果、世界で最初に日本が恐慌から脱することに成功しました
(その政策をアメリカがアメリカ風に置き換えたのが有名なニューディール政策と言われてます)。
残念ながら226事件で暗殺され、また、高橋さんの功績は長く語られることが
なかったのですが、デフレが続く今の日本はまさに1930年代初頭と似ていることから彼の政策の有効性が
再評価されています。
いずれにせよ、この人のスゴイのは、その時、その時の持ち場が来た時にやることを着実に
実行して結果を出したことです。
はじめにアメリカに留学した時。
留学時に、学費などを全て斡旋したアメリカ人に着服され、更に、運悪くホームステイ先にも騙され、
年季奉公の契約書にサインしてしまい、牧童や葡萄園で奴隷同然の身分での生活をします。ただ、ここでの苦労体験が、
彼の英語での交渉力をつけました。
それが、日露戦争時にはジェイコブ・シフはじめ金融界との交渉の際に大いに役立った。
また、ペルーに渡り、銀鉱事業を始めたけれども廃坑となり、全財産を失う。
一方でこうした体験があったからこそ、不況の時ほど、消費を抑制してはダメで遊郭で散財することだって経済全体には
ありがたいことだ、と(非常に正しいのですが)大胆な発言をしています。
そんな人が総理大臣を経験できた昔の日本はかなりおおらかだなぁ、と
思いますし、その総理大臣経験者が柔軟に大蔵大臣になるというのも、頭が柔らかいなぁと思います。
いずれにせよ、是清のこの言葉は、地べたに足をつけて、その時、
その時自分が出来ることをやることの大事さを語っているのではと思います。
今、自分がベストを尽くすことがひょっとすると今日、明日にメリットとして返ってこないかもしれないけど、
必ず長い目で見れば返ってくる、ということでしょう。
逆境も心の持ちようひとつで順境たらしめることができる。 授かった仕事が何であろうと一生懸命にやるなら衣食は足りる。 (高橋是清)
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