人は、教えているとき、学ぶ(セネカ)
ローマ帝国時代の政治家、セネカの言葉。
セネカは評判はよろしくない、暴君ネロの家庭教師として仕え、そして、最後は
死を命じられて自殺により生涯を終えたストア派(後期ストア派)の哲学者の一人です。
セネカの説明は置いといて、今日はこの言葉。
丁度bにとっては12月のポイントは人の育成だと思います。
1月以降は、お客様の動きも活発になることが予想されますので、そこまでに
どれだけ新しく入る人達を育てられるか。
そして、トレーナーとして育てる側に立つ人達は逆に、育てることを
通じて自分自身が自分の仕事を振り返って学ぶことにもなります。
私も昨日、LCLとFBを1件行った時、丁度今まで作成していたPJの日本語版で
復習していた文法の知識が非常に役に立ちました。教えようという気持ちはどちらかと言うと
他人に与える側の行為ですが、その行為を通じて教える側も、教えられる側も成長するということでしょう。
教える側の人達には「教えることは大変だけど、教えて一丁前にはやくなってもらうことこそ、
自分が楽になるために必要なことだ」ということを思って、心をこめたトレーニングを行なってもらいたいと
思いますし、教えられる側には「そういう気持ちでトレーニングをしてくれてるから、早く頑張って一丁前になろう」と
思ってトレーニングを受けましょう。
人は、教えているとき、学ぶ(セネカ)
Leave a reply