東日本大震災から1年
今日は3月11日。
東日本大震災から早くも1年が経過しました。
この1年、震災が起きて間もないころはやれ募金だ、ボランティアだと
騒いだり日本人は冷静沈着ですばらしい、なんてテレビでは騒ぎ立てていましたが
私はどちらかというとすっかり今の日本の偽善に嫌になってしまいました。
ビジネス界に関して言うと、募金活動が宣伝活動になったり、
ボランティアも被災地の同胞のためではなく、自分の気持ちの満足のためになってしまったり。。。
募金だボランティアだと言っていた有名経営者や政治家に限って、この被災地復興を優先させないといけない時に復興予算に関しての財源を気にしたり、自分達の業界優先で被災地の第一次産業を破壊するような政策を支持するのがまさに偽善の現れだと思います。
そんな意味で、あれだけ直後には騒ぎながら、すっかり普通に戻ってしまっている
東北以外の日本を見ていると、言葉では綺麗事をいいながら、結局、ほんとうの意味での同胞への心が行き届かず我が身が可愛い日本人のこの卑しさこそ今、猛省することが大事だと思います。
本当は、今大事な事は被災地の同胞のことを絶対に忘れないこと。
やれ募金だ、ボランティアだというステージではなくて、どんどんビジネスをして
しっかりと日本経済に貢献すること。結果として、それが、東北の人達が元の生活に戻るお手伝いに
繋がると思います。
こういうことを自分で書いているとつくづく思いますが、自分はやっぱり日本人なんだなと思います。
自分の家族や社員や同胞だからこそ、大変な状況があれば理屈抜きでまとまれるし守れる。グローバル化の時代なのに発想がローカルだと言う人は言うでしょうが、この身内へのえこ贔屓くらいの愛着や連帯感こそが今の日本には大事なんだと思います。
人類みな兄弟とか、地球市民なんて言葉をいう人、あるいは、募金だボランティアだと
直後だけやってた人。そういう人達だって、きっと、本当に大変なことがあった時やっぱり
立ち返るのは、自分自身であり家族や身近な人間のことになる。でも、私はそれが人間の本質なんだと思いますし、それを偽善で覆い隠すことこそが卑しいと思います。
最近のユーロ危機なんかを見ていても、結局、大ヨーロッパとしてまとまろうとした
西欧も、いざ、財政危機が起きるとドイツ人はヨーロッパ人としてギリシャを助けるかというと
そんなことはない。ヨーロッパの財政危機で、ユーロ圏の人間が分かったことは、自分はやっぱりヨーロッパ人なのではなくてドイツ人であり、フランス人であり、ギリシャ人なんだということではないでしょうか。
以前、日本の某お花畑総理が日本は日本人だけのものじゃない、と国会で言っていたのを
覚えている人はいるでしょうか。彼は、地球市民・友愛の精神でそう語ったのでしょうが、このヨーロッパの例え話から俯瞰すると日本国の総理大臣だからこそ、日本国の国会では「日本は日本人だけのものです」と言い切るべきなのでしょう。
日本は戦後、国としてまとまることがなくても危機に巻き込まれることがなく
今でも呑気ですが、他の海外を見ているとつくづく、アメリカも中国もロシアもどの国も自分達の事を
まず守ることからトップも国民も考えています。だからこそ、そういう国のトップはしたたかで、自由貿易、平和、地球環境保護といった言葉を口に出しながら、実はすごくドライに自国民の利益を最優先した要求を外交でも日本に要求してくる。
一方、日本は呑気だから、その言葉の裏に気づかず偽善に乗ってしまうけど、それが実は、
相手は自分達の為にやっているのだから、ここから交渉が始まるのに交渉しないから、自分達の身内の害になることに気付かない。
意外とこういう偽善をする人に限っていざとなると我が身が可愛くなります。
逆に、人間はそういう生き物だと分かってあえて身内を大事にして偽善に陥らない人間のほうが本当に大変な身内以外にも実は気持ちが行き届いたりするのではないでしょうか。
そういう意味で、私は明らかに身内びいきだし綺麗事は嫌いだし、そういう
自分であることを偽善で隠すのも嫌いで、それでいいと思っちゃうわけです。
これはあくまでも私の考え方であり、皆さんも皆さんなりの気持ちで3.11を過ごしてください。
東日本大震災から1年
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