勇気などは、天性のものではない。
臆病者が、自分自身を練り、言い聞かせ、知恵をもって、
自らを鼓舞することによって、かろうじて得られるもので、
いわば後天的なものである。(司馬遼太郎「夏草の賦」)
今日は勇気について。
この言葉自体は司馬遼太郎の「夏草の賦」 というところからの
引用です。
私自身は、学生時代に司馬遼太郎にはまり社会人時代の前半に非常に
影響を受けました。特に、大企業の団塊世代の人は何故か司馬遼好きが多いです。
私の場合は、その後、司馬遼の本で礼賛された人、また、評価を落とした人、
もしくは礼賛された価値観と、評価の悪い価値観など、真剣に考えば考えるほど所謂司馬遼史観と
言われるものと自分の考えが違うなと思うようになってから遠ざかりましたが、
それでも好きな本はいくつかあります。
それはさて置き、思い切って行動を取る勇気。
そして、言い難いけど言わざるを得ないことを相手のためと思って言う勇気。
はたまた、自分が間違った事や罪を犯したことを素直に認める勇気。
全てやらずに見て見ぬふりをするという選択肢を捨てて、あえて、
辛いながら出来るかどうかは、これひとえに勇気です。
そして、幸いなことにこの勇気は生まれ持っての能力でも何でもなく
本人がその一歩を踏めるかどうかのみ。
その勇気を出せるために人は、言い訳だろうが、頭でっかちな知恵だろうが、
若しくは自分を追い込んだりあらゆる手段を使って何とか、勇気を発揮しようとする。
逆に、知恵を働かせ言い訳を考えて勇気を出さないということもある。
それは全て自分次第ということですね。
ちょっとした仕事でのシチュエーションで、自分がこのこと出来たらな
(あるいは言えたらな)ということって多いはずです。
それが出来るかどうかはまさにこの勇気の部分であって、能力じゃなかったりしますね。
勇気などは、天性のものではない。 臆病者が、自分自身を練り、言い聞かせ、知恵をもって、 自らを鼓舞することによって、かろうじて得られるもので、 いわば後天的なものである。(司馬遼太郎「夏草の賦」)
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