常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションである。
(アインシュタイン)
これは社会人としてだけでなく、人として必ず持っておくと良い考え方だと
思います。
今、いろんな人を見た時に
「この人は・・・・だな」
と思うことがあると思います。
もしくは、何か新しいことにチャレンジする時に
「そんなことが出来るはずがない」
と思ってしまったりしまいます。
これは、子供の時から青春期に触れた知識や物事が成人になってからも
人のものの見方や判断に与える影響が如何に大きいか、ということだと思います。
そして人間は、なぜか自分が一番正しい判断をする、と思ってしまう
不思議な特性を持っています。
だからこそ、大人になってから大事なことは自分が触れた新しい事象を
解釈する時に今までの知識の積み上げの中から見ることも大事ですが、その判断そのものを
もう一回疑ってみたりする気持ち。
もちろん、その瞬間には答えが出ないことが殆どですが頭の中に「悩んだ」
という実績があると、また、将来似たような経験をした時に必ず役立つ回答を導きだせるように
なります。
私の場合の一番大きな思い出はグロービス時代に投資していた会社の社長と
喧嘩になった時に、想像を絶するくらい激しく叱られた時。はっきり言って、完全人格否定くらいに
やられました。
当時は一瞬逆恨みしかけましたが、ずっと、「なぜ、あの人あそこまで怒ったんだろう」
ということが、ずっと自分の頭から離れなかった。
で、それが分かったのは会社を作って4年目くらいでした。
あとで、メール出して当時のことを詫びて久しぶりにお会いして笑い話となりましたが。
欧州の考え方の基本は、「Greek Doubt」と「Christian Belief」といいます。
前者は古代ギリシャの哲学者に発する物事を徹底的に考え尽くす思考法と、その一方で
道徳観としては宗教としてのキリスト教。徹底的に自分を疑う思考法と、時として自分の行動を縛る宗教。
日本人ももともとは、儒学などの古代中国の合理的思考法と宗教観としては
昔は神道や仏教、近代は武士道、みたいなものがあって似ていたと思いますが、今は、どっちも
なくなってるので、思考法としてもう一回今までの常識にとらわれない習慣をつけるといいと思います。
常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションである。 (アインシュタイン)
Leave a reply