自分の尊敬する人に自分の行動を見られていると思う
最近、どちらかというと主体的に自分の習慣だったり行動を管理するかということを
書く機会が多かったので、今日は、少し他人に頼ってしまうけどうまいことそれを習慣付けてくせにするためのコツ。
昔、学校で習ったかもしれないけどマズローの5段階欲求って聞いたことがありかもしれません
(マズローの説は学会では色々と賛否ありますが、ここではわかりやすくするために使わせてもらいました)。
人間の欲というのは、低次から高次にわたり5段階に分けることが出来る。
具体的には、
1 生理的欲求(physiological need)
2 安全の欲求(safety need)
3 所属と愛の欲求(social need/love and belonging)
4 承認の欲求(esteem)
5 自己実現の欲求(self actualization)
あまり単純化したくないけど、上から下に向けて行く中で動物的な単純な欲求から
より高度な欲求に変わっていく。1番なんかは動物と一緒だし、2番だったら犬とかの動物や赤ちゃんだって持っている。
3番くらいから成人の人間が他の動物と違い人間たらん欲求に変わりつつある。
朝礼でのトピックなのであまり学術的なことはここでは書きませんが、仕事をしていても
いろいろとジレンマというものを私達は抱えます。
ちょっと嫌な事。
出来れば、他人にやってもらって自分は逃げてしまいたいこと。
若しくは、自分の中にある問題をどうしても自分で解決できず他人に責任転嫁してしまう。
でも、人はそれを他者に転換せず自分の問題と受け止めて自分の力で解決することで成長します。
そして、残念ながらそれは何となく分かっていても、ついつい、目を逸らしてよもやまの楽しいことや惰性的なことに目を向けてしまうことも人間の性でもあります。
そんな時に、思い出して欲しいこと。
それは、自分の尊敬する人だったり大好きだった家族の事をちょっとやましい時に思い出す。
その人達の力を借りて自分を制する。
私自身が葛藤するときによくするのは、仕事を少し手を抜いてしまおうという葛藤が出たときは
自分が今まで会ったり聞いたりした経営者で尊敬する人の事を思い出し、「この人だったらここでどうしてただろう」と考えてもう一回自分を奮い立てる。
逆に目先の快楽や堕落に対しては、自分の大好きだった死んだおばあちゃんの事、あるいは、終戦の近いこの時期には戦争で昔、自分たちの命を犠牲に日本を守ってくれた何百万という人達の事を思い出す。そうすると、全てではないにしても、今の自分の事が小っ恥ずかしくなって、ある程度の自制が出来る。
そして、どちらかというと自分を誇張したくなったり(時にはアピールは必要にせよ)、何となく
それが自分の内面の事ではなく、形式的な見栄などが出過ぎているなと思ったときには、そういう観念が全くなかった大久保利通を思い出す(みんなに言ってるけど、今でも月に2回は青山霊園に行って墓掃除をしながら、2週間のうちに緩みかけた自分を思い出す)。
こういう自分の楽することや、後ろめたい気持ちを払拭するのに最も力強い味方は
意外と、上司でもないし、社内とかではなくて死んでいった厳しくも心温かく大好きだった親族から昔言われた言葉だったりします。それを思い出し、もう一つ高いレベルに自分を高める。
私の場合は、会社の業績が悪い時はついつい、営業の調子が悪い人がもうちょっと
頑張ってくれてたら、、、とか、人の部分でがっくり来たときはその人に対して気持ちが行ったり、あるいは、外部との軋轢に責任を求めてしまいがちだけど、今の会社の形態である限りは全ては自分の責任だから、解決できなければそれは、自分が悪いし自分を奮い立てることで解決の糸口を探していくしかない。
人間は弱い生き物だから時々、こうやって他人の力を借りて自分を制する癖をつけていくことも
時には役立ちます。
PS:マズローはこの5番の次に、「自己超越」(self-transcendence)という概念も入れています。
自分の尊敬する人に自分の行動を見られていると思う
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