数字は勝手にできるものではなくてつくり上げるものである
(誰だったか忘れましたが大手都銀の昔の頭取の方/ちょっとソニーの話を混ぜて)
以前、何かのセミナーで聞いたセリフです。
なので、少し、コメントのニュアンスは違うかもしれません。
よく、「いい事をしていれば数字はあとからついてくる」
といいますよね。
これって半分は正しいけど半分は間違ってる。
いい事をしていて数字がついてくるのは、会社の名前が既に多くの人に
知れ渡っている会社。
例えば、ソニーがすごくいい製品を開発した。
それは、もちろん、そんなに広告しなくても営業しなくても売れるでしょう。
逆に、bはレッスンの質は相当自信がありますが、それでは、Gabaやベルリッツよりも
お客様が来るか?
それはないですよね。
それは認知の差です。
そして、言葉を変えると社歴の差。相手は何十年、毎月何百万、何千万という
広告にお金をかけてやっとそこまできてるわけです。
逆に、b わたしの英会話の場合はその良さってのはまだ、クチコミになるほど
多くの人には知れ渡ってない。まだ、知る人ぞ知るレベルです。
でも、ソニーだって同じような時期がありました。
盛田 昭夫さんと井深大さんがソニーを作ったとき。
当時は、東京通信工業という名前で会社を作った。
もちろん、誰も知らない。
そして、日本が戦争に負けた直後のことです。
なのに、負けてすぐなのに戦争相手だったアメリカに営業に行った。
英語だってろくに話せない。片言で営業です。
当時は、工業製品は軍需品を除くと日本製品は今の中国製くらいの評価だった。
特にヨーロッパの人はプライドが高い。
そんな、誰にも相手にもされないヨーロッパにも売りに行った。
自分たちの作ったトランジスタラジオは世界一と思っても、アメリカ人は
相手にしてくれない。使ってくれなかったら(売れなかったら)、どれだけ一番と思っても
売上が出ないから潰れてしまう。
だから、ヨーロッパでは学生をサクラに使って、ソニー製品の前に行列を
作らせた。サクラをつかうのはどうかと思うけど、製品が良かったので一度買った人は
みんなファンになる。気づけばサクラだったバイトの子達まで買ってくれた。
そうやって世界のソニーになった。
ヨーロッパでも売れ始めてアメリカ人もソニーに気づいた。
当時は、どの日本の営業マンも世界中で日本製品を売りたかったのに相手にされない。
日本製は安かろう、悪かろうのイメージだった。
だから、そうやってソニーがついにニューヨークの五番街に本社を構えて
日の丸を掲げたとき、ニューヨーク在住の競合の会社の営業マンもみんな集まって
お祝いして一緒にうれしさのあまり、泣いたそうです。
(ここは、プロジェクトXを見てみてください。私はこのシーンを見て100回くらい泣きました)
逆にアップルだってそうですよね。
始めは、ガレージでパソコンを組み立てて売ってた会社が今じゃ、IPOD を作ってる。
IPHONEは日本の大手企業を打ち負かしてしまっている。ましてや、そうやって大手企業に
なっていたソニーを今では逆に負かしている。それは、ソニーが大きくなりすぎて
昔の苦労を知っている人がいなくなって大企業病になってしまったから。
会社の数字って、経営者と社員の想い。
そして、行動でつくり上げるもの。
きっと、ソニーもアップルも、そして、今、いっぱしになっている会社は
みんなこの時期を経験しているのでしょう。
逆に、途中で気を抜いて潰れてしまったり消えていった会社はそれ以上に
あります。
b は、やっと、会社のイメージが少しずつですが世に伝わり始めてきた
まさに途中段階です。
数字は勝手にできるものではなくてつくり上げるものである
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