皆さま、こんにちは!Aikyです。
暑い日が続いておりますが、皆さまお元気でいらっしゃいますか?
そんな暑い中、私は7月に九州旅行に行ってきました。
この仕事をしていると毎日英語を話し、海外旅行にも興味がでますが私は国内旅行も大好きなのです!
そして、次に国内旅行に行くとしたら絶対に行きたいと思っていたところがありました。
それは長崎県にある「軍艦島」です。
最近テレビでもちょこちょこ紹介されるようになりましたが
軍艦島ってどんなところか皆様ご存知ですか?
初めて軍艦島テレビで3年前程に観たとき
「こんな島が日本にもあるの!?」
と衝撃を受けました。
それを実際の目で見てみたいと思い、いつか行きたい!と思っておりました。
そして、遂に行くことが決まってから軍艦島について色々調べてみました。
「軍艦島」は長崎県西彼杵郡高島町になる正式名称は「端島」
戦艦「土佐」に島影が似ていることから名付けられたといいます。
場所は、長崎港から約18キロの海上にあります。
大きさは、南北約480m、東西約160m、という小さな島です。
1810年頃石炭が発見され、佐賀藩が小規模の採炭を行います。
明治23年、三菱が島全体と鉱区の権利を買い取り
本格的海底炭坑として、操業が開始されます。
島直下及び、周辺の海底から良質の強粘結炭を採掘し、
主として八幡製鉄所に製鉄用原料炭を供給する島として、
国家の手厚い保護を受けてきました。
明治期には中央の岩盤上に3~4階建ての木造住宅が数棟あり、
東部平坦地には作業場、西部平坦地には住宅及び公共施設、
小中学校(7階建)、共同販売所、映画館、料理屋、娯楽場、病院などがありました。
この時代東京にもなかった日本初の鉄筋コンクリート造高層集合住宅である30号棟が大正5年に建築され、
日本近代建築史上特筆に値する重要な文化的遺構であると言われています。
現在は
「軍艦島を世界遺産にしよう」
という活動も長崎では行われているようです。
なので、東京よりもその当時は発展していた街だったんですね!
しかもこの時代の長崎県民の平均月給が2万という時に
軍艦島に住んでいた方たちの平均月給はなんと20万円だったそうです。
テレビや冷蔵庫など全国の普及率が20%ほどだったそうですが
軍艦島の世帯は100%普及していてかなり裕福な暮らしをされていたそうです。
奥様たちも小さな島の中で西洋なお洒落をし、「ハイカラさん」がたくさんいたそうです。
金銭感覚もみんなおかしくなっていたとか?!
しかし、国のエネルギー転換政策の推進に伴い、
結局1970年の端島沖開発中止により会社は鉱命終了期を発表し
、
1972年に組合側を妥結して、同年12月に採炭を終了、
1974年1月15日正式に閉山したのです。
これを受け、
同年4月20日をもって野母商船定期便が廃止、島民は皆島を去ったのです。
最盛期には5,200人の人口で当時の東京人口密度の9倍とも言われていたそうです。
小さな500mほどの小さな島で5,200人が暮らすとなると
プライベートも何もなかったと思います。
まさしく軍艦島!といった迫力に感動しました!
今回、上陸もできるツアーに参加しました。
お天気が悪かったり、波が高かったりした場合は
上陸できないのですが、
幸いにもこの日は猛暑なほど晴天に恵まれ上陸することができました☆
ガイドさんも「こんなに青空な軍艦島はめったにないです!」と言っていましたよ。
大正時代からこんな建物があったなんて近未来ですよね!
想像するとなんだかワクワクします。
一番高いところにある住宅は3号棟と呼ばれ、主に、
幹部職員が住んでいた島屈指の高級住宅です。
遠くから見るとフランスのモンサンミシェルにも見えてきませんか??
知れば知るほど面白い軍艦島でした。
帰りの船の中で軍艦島でPV撮影を行ったというB'z の「MY LONELY TOWN」
のDVDを見せてもらったのですが
1974年の封鎖から2009年、
実に35年振りに上陸が解禁された長崎の軍艦島に上陸して撮影が行なわれ、軍艦島でこれほど大規模なミュージックビデオの撮影が行なわれたのも、もちろん今回が初のことでした。
日本にもまだまだ面白い島がたくさんあると思いますので
色々訪れてみたいですね!
長崎というと五島列島も最近人気ですよね。
今回は時間がなく訪れることができませんでしたが
機会があれば訪れたい島のひとつです。
皆さまも引き続き素敵な夏をお過ごしくださいね♪
Aiky