至誠にして動からざる者は未だこれ有らざるなり
(吉田松陰)
昨日、1日に近所の氷川神社にお参りに行った時にもらってきた
言葉です。
吉田松陰は言うまでもないですが、松下村塾を主宰した人。
高杉晋作や明治時代の長州出身の政治家や軍人の多くに影響を与えた人物です。
直訳すると誠意を尽くして物事にあたれば、どのようなものでも
必ず動かすことが出来る、という意味です。
私はマキャベリスト的な所があるから、世の中、それだけではないと解釈しますが、
それでも、この誠の心がないことにはどんなこともやる意味がないと思います。
よく稲垣さんと話すことで、何かの判断をする時にその判断に
大義があるか、というところが拠り所となります。もちろん、会社の経営はきれいごとだけでは
やっていけないところがあります。厳しい判断や、望まないことをすることもないとはいえないけど、その判断が
自分達として、大義を掲げていることなのであれば、泥をかぶってでもやるし、逆に大義がないことであれば、
言葉ではキレイなことであってもやらないほうがいい、と思ったりするわけです。
目の前のひとつひとつの仕事に関して言うと、その至誠という言葉が
自分の行動に当てはまるように仕事をできるかどうかによって、変に他人に後ろめたく思ったりしないで
済みます。その気持があれば、堂々と発言も行動も出来る。
逆にちょっとズルしたり、他人に責任を押し付けたりしたとしてみましょう。
自分は平気なつもりかもしれないけど、きっとどこかに後ろめたさがある。
そして、その気持があると、自分として正々堂々とした行動がとれなくなり結局、他人の心を動かすことも
出来なくなります。
まずは、自分が堂々と生きて仕事をしていくために至誠の心とはなんだろう、
と考えてみましょう。ホント、些細なことからのスタートが大事です。
至誠にして動からざる者は未だこれ有らざるなり (吉田松陰)
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