これ、文化の異なる海外では当てはまらないこともあるので要注意を。
でもある程度、常識(Common Sense=共有したセンス)がある日本国内だと大事じゃないかと思います。
仕事やプライベートでもついつい、人間、問題やその存在が目立つものに
気を使ってしまいがちです。あるいは、そもそも、相手に嫌なやつと思われたくなかったり。
ただ、当然ですが大事にするにも優先順位を付ける必要があるんじゃないかな、というのが
今日の趣旨です。
例えば、以前も書いたことがあるかもしれないけどお客様対応。
ついつい、お客様への対処については声の大きな人や、ちゃんと主張できる方の方が目立つので
その人の意見を優先させてしまうことってありませんか?
時と場合によってそれは仕方ありません。いつも、重要度と緊急度、
なんて話をしてますが、サービス業は時と場合によって緊急度を優先させざるをえないことが沢山あります。
でも、やっぱり大事にしたいのは、そういう主張することのない大多数の人はどうだろう?という側の視点。
システムの開発の際なんかもそうですが、例えば、
色んな人から「こんな機能がほしい」あるいは「ここが困ってる」という声を聞くと、
レッスン・パートナーでも沢山言ってくれる人もいれば、あまり言わない人もいます。
ただ、もし10の意見が集まったとしても、その意見のうち8を1人の主張が多い人からのものだったとしたら
どうでしょう?わずか、2の部分にしか多数の意見が入ってないことになりますよね。
そういう時は、その8の中からは2つか3つ本当に大事そうなものを見つけて、あとは、
自分からあまり普段、意見を言わない人に聞きに行ってみる。あるいは、聞かないまでも想像してきっと、
この人はこういう風に思ってるんじゃないかな、と予想した意見を混ぜてみる。こうするといいと思います。
ただ、人は難しい生き物で自分がどう思われるかを非常に気にする生き物です。
そして、目立つ人が目の前にいると自分が「聞き分けの悪い人」と思われたくなかったりするので、結果的にどうしても
目立つものに阿った対応をとってしまいがち。
ここは仕方ない部分もあります。
でも、心の何処かから自分自身に「本当に大事にすべきものはなんだろう?」と問いかけるクセを付けておくことは
とても大事じゃないかなぁと思います。私自身、いつもこの事で優先順位を間違った時、後悔します。
アメリカにいた時に思いましたが、教授でもこれがとても上手な人と
慣れてない方がいたのを覚えています。
上手ではない人は、クラスなどでもすぐ手を上げて発言しがちなアメリカ人、インド人や中国人の意見を
聞いてそのままクラスの意見としがちです。一方、日本人みたいに発言を控えめな人が多い国の人や、東南アジアのように穏やかな国民性の人も
あまり手を挙げません。特に日本人は、「これくらいの意見でわざわざ発現するのは恥ずかしいし、クラスの時間も無駄だから」とか「変な意見だと思われたくないから」と遠慮してしまいがちです。
アメリカ人はそんなの気にせず言っちゃいますけどね(笑)。
ここで上手な教授なんかは、うまく場を設けて発言できる機会を意図的に作ってくれようとしてくれます。
あるいは、グループワークなどで個人ではなくチームとして発表できるようにしてこういう国の人の意見がクラスの意見の中に反映させられるように
モデレートしたりしてくれます。こういう教授はホント大人というか、よく出来た人だなぁと思ったものです。
逆にそれが上手じゃないと、どうしてもクラスもいつもお決まりのメンバーが話して終わっちゃったりしたのを覚えてます。
(だけど、試験になると発言多い人に限って、意外と理解してなくて成績は悪かったり(笑))。
私達もサービス業なので、どうしても目の前で目立つものから対処してしまいがちで、
これはやむを得ない部分も多いですが、時々、「本当に大事なのはなにか」を自分の内から聞いてみましょう。