先日、皆さんと飲んでいた時にも思いましたが、
多くの方が学生時代、何かに打ち込んでいた経験があるなと感じました。
朋代さんだったらバスケット(でしたよね)。
みたいに。
私はお恥ずかしながら、中学を中退し大阪にある中高に転校してからは
ずっと帰宅部。大学に入った後も、部活は3ヶ月でやめてしまいその後は帰宅部。
大学もさっさと授業が終われば家に帰宅して三国志の映画見るか、近所の芦屋川のほとりでぼーっと本読んだりしてました。
ということで、間違いなく言えますが学生時代における
「何かに打ち込む」ことに対しての経験は、皆さんの方があると思います。
体育会系の人だったら、試合に勝つ、という目標があってその試合日に向けて
日々の練習に打ち込んだのかな(私、何もやってないので分からない(笑))
文化系の人だったら、何かの発表会にあわせて、練習していったと思います。
そして、その結果として試合に勝つ、あるいは、負ける。
この経験は部活にせよ部活じゃないにせよあったと思います。
ところが、社会にでると不思議ですが仕事も同じなんですが、
意外とこの感覚を忘れてしまいがちです。
私も自分の強いところも弱いところも、嫌ながら両方見えてしまう。
もともとは、私はnumber guy(数字マニア)として証券会社で金融のモデルを作ってた人間でした。
徹夜でエクセルいじりしたり、パワポの資料を作るのが好きでした。
だから、はっきり言って人と話すのも好きじゃなかった。
営業職なんて絶対やらないと思ってました。
きっと、この時点でしたら絶対、みんなの方がお客様対応もカウンセリングも
営業も上だったでしょう。断言できます。
でも、偶然のキッカケでこの会社を創業してから、如何に今までの
自分のやってきたことと、今、必要なことが違うかを痛感した時、人はどっちかになると思います。
1つは、学生時代のノリで「よーし」と思って向き合って自分の新しいスタイルをつくろうという人。
もう1つは、逆に仕事は仕事、になっちゃって変われない人。
私も実は会社をはじめたとき、後者の方になりかけてました。
営業は自分の仕事じゃない。現場に入るのも自分の仕事じゃない。
社長として、ビジネスの仕組みづくりやベンチャーキャピタルと交渉して
資金を集めてくることだって。
もちろん、それは否定はしませんし、それが良かったこともあります。
でも、私達の給料だって家賃だって誰がお支払いしてくれているでしょう?
全てお客様が私たちのことを信任してお支払いいただいた対価から払われてるわけです。
そのプロセスの一つである、営業やカウンセリングのコミュニケーションスキルを軽視することなんて本当は
ありえないんですけど、当時の私は何も分かってませんでした。
そんな私の闘争心に火をつけてくれたのは、かつて共同創業者で大学院時代の先輩だった高橋さんでした。
「大山くんには営業のところは全然期待してないからね」
と何かの打ち合わせ時にサラッと言われた時、私の闘争心は火がついちゃいました。
(多分、本人はそんなこと忘れてるでしょうけど(笑))
そこから、自分がやったことはひたすら色んな人の本を買ったり、
セミナーでたり、はたまた、営業コンサルの方にまで泣きついたり。
はじめの頃はあまりに今までの私のスタイルと違ったので、やっぱ無理だなと
思いましたが、その時には悔しさ(笑)を思い出して・・・。営業は違うかもしれないけど、お客様との接し方や話し方も
半分くらいは、お客様自身やその時その時のコンシェルジュから盗んだ話し方もあります。
あるいは、学び始めたことは全然分からなかったけど、続けていくうちに
あるタイミングで繋がってくることもたくさんあります。英語もそうですけど、だから続けないと結果は出ないんですね。
なので、今お会いしている自分と7年前の自分は恐らく全然違うくらいに違います。
昔はタクシー乗っても若造のくせに態度悪かったです(今思うと恥ずかしい)。
よく、気に入らないことがあるとお店のスタッフ叱ってました(これも、恥ずかしい)。
でも、真剣に学んでいくと今の自分の仕事で自分がやるべきこと。
あるいは、もっとワンランク上の自分になるためにやるべきことや変わるべきこと。
こういうものが、ぼやっとですが見えてくる。
そこに向きあえば、学生時代と同じで練習も出来る、努力も出来る。
多分、学生時代の部活の練習に比べたらその努力は全然楽なもんです。
結論 − 勝負は社会人になってから。
でも、学生時代の打ち込んできたことの経験というのは仕事も同じで必ず活きます。
少なくとも、芦屋川に足を入れてぼーっとしてた私よりは
学生時代多くの事に打ち込んでた人が多いでしょうから、なおのことね。